
考察するのが楽しい映画
『ライトハウス』(2019)の感想、解説をしていきます!
『ライトハウス』(2019)の評価
項目 | 評価 |
知名度 |
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配役/キャスト |
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ストーリー |
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物語の抑揚 |
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考察しがいがある度 |
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おススメ度 |
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『ライトハウス』(2019)の作品情報
製作年 | 2019年 |
原題 | The Lighthouse |
製作国 | アメリカ、ブラジル合作 |
上映時間 | 109分 |
ジャンル | ドラマ、ホラー |
監督 | ロバート・エガース |
脚本 | ロバート・エガース、マックス・エガース |
主要キャスト | ロバート・パティンソン(イーフレイム・ウィンズロー)
ウィレム・デフォー(トーマス・ウェイク) |
『ライトハウス』(2019)の概要
「ウィッチ」のロバート・エガース監督が、「TENET テネット」のロバート・パティンソンと名優ウィレム・デフォーを主演に迎え、実話をベースに手がけたスリラー。外界と遮断された灯台を舞台に、登場人物はほぼ2人の灯台守だけで、彼らが徐々に狂気と幻想に侵されていく様を美しいモノクロームの映像で描いた。1890年代、ニューイングランドの孤島。4週間にわたり灯台と島の管理をおこなうため、2人の灯台守が島にやってきた。ベテランのトーマス・ウェイクと未経験の若者イーフレイム・ウィンズローは、初日からそりが合わずに衝突を繰り返す。険悪な雰囲気の中、島を襲った嵐により、2人は島に閉じ込められてしまう。
映画.comより引用
『ライトハウス』(2019)考察 ネタバレあり
アスペクト比
本作では 1.19:1 というアスペクト比で撮影されています。
ほぼ正方形に全てを収めないといけないので撮影大変だったのではないでしょうか。
それでもなぜこのアスペクト比にこだわったのだろう?
監督は「観客に窮屈な思いをさせたかった。ワイドスクリーンというものが生まれる前の時代に連れていきたかった」と述べています。
モノクロでざらついた映像だしね。
確かに追い詰められたわ...。
早く解放してくれと思った映画は初めてかも...。
実話とギリシャ神話の融合
本作には考察好きにはたまらないメタファーが散りばめられています。
どう解釈してもいいんだろうなというほど散りばめられています。
ギリシャ神話のメタファーは以下の通り。
・ウィンズロー→プロメテウス(ゼウスの反対を押し切り、天界の火を盗んで人類に与えた男神。その後ゼウスから生きながらにして毎日肝臓を巨大な鷲エトンについばまれる責め苦を強いられた。※プロメテウスは不死で、彼の肝臓は夜中に再生する為毎日拷問が続いた)
ラストシーンそのまんまですね。
理由はプロメテウスの神話というより、太陽に近づきすぎたイカロスを彷彿とさせますが。
・エディプスコンプレックス→フロイトの精神分析の中心概念。「男の幼児が無意識のうちに母親に愛着を持ち、自分と同性である父に敵意を抱くことで発生する複雑な感情。」(広辞苑より引用)
また、本作を作るにあたって実話にもインスピレーションを得たと監督は言っています。
スモールズ灯台の悲劇
1801年、トーマス・ハウエルとトーマス・グリフィスという二人の灯台守がスモールズ灯台に派遣される。グリフィスが体調不良を訴えたので、ハウエルが遭難信号を送るが悪天候で助けが来ず、グリフィスは亡くなる。ハウエルは殺人を疑われないようにするために、遺体と過ごすが次第に腐り始めていく。次の交代要員が到着する頃には、ハウエルは要望も変わり、発狂していた。
灯台が表しているものは...
灯台を映し出す時にどうしたって男性のシンボルに見えるようにしています。
ロバート・パティンソンのインタビューによると、台本にもそう書いてあったようです。
男性性を強調しまくっている作品だと感じました。
というのも、二人とも“ホモセクシュアル”を内に秘めているからだと思います。
お酒を飲んだ時にだけ訪れる危険な親密さ。
ウィンズローは悪夢に出てくる人魚を想像しながら自慰をしますが、途中で灯台守の相棒トーマスの顔が浮かんでしまっていますから。
自分の性的志向をうすうす気づいているのをかき消そうとするかのように自慰のシーンは何度か出てきます。
それに対し、やたらウィンズローに「女のように美しい顔だ」というウェイクからもその雰囲気を感じ取れます。
男らしさを誇示するウェイクは、ことあるごとにウィンズローをバカにし、自信を失わせていきます。
自分の男性性の優位を示しているのです。
ウィンズローのウェイク(男性)への抑圧された気持ちはやがて爆発し、暴力によって立場を逆転させます。
『ライトハウス』(2019)のネタバレ感想
私の解釈では、ウィンズローが過去に起こした殺人から逃れて新しい自分になろうとしたけど欲望に負けて失敗した話だと思いました。
なんだか二人はいがみあってる夫婦みたいだった。
男性性と女性性を分かりやすくそれぞれに割り当ててましたね。
この物語を難解にしているのはウェイクもウィンズローもどこまで信じていいのか微妙な人物ということ。
二人ともめちゃくちゃしゃべるんですけど「何言ってるんだおまえ」と言いたくなるような呪文のような言葉だったり「それほんまなん?」と疑わしいような言葉ばかりで理解が追いつきません。
二人は同一人物(ユングのペルソナ)
本作はスイスの精神科医で心理学者のカール・ユングの影響を受けていると監督が話しています。
以下カール・ユングの心理学概念「ペルソナ」の説明文です。「Wikipedia」より引用
ペルソナとは、自己の外的側面。例えば、周囲に適応するあまり硬い仮面を被ってしまう場合、あるいは逆に仮面を被らないことにより自身や周囲を苦しめる場合などがあるが、これがペルソナである。逆に内界に対する側面は男性の女性的側面をアニマ、女性の男性的側面をアニムスと名付けた。
男性の場合にはペルソナは男らしさで表現される。しかし内的心象はこれとは対照的に女性的である場合があり、これがアニマである。
ウェイクがペルソナ、ウィンズローがアニマか!!
すごくしっくりきますね。
後半ウェイクを犬のように首輪につないだあたりから自我が崩壊したのかな。
自分の中のもう一人の自分(男らしい、父親的な存在)を消し去ったんだろうな。
ウィンズローは別人になりすまして人生をやり直そうとしたのに結局失敗した。
うーん、本当に考察し甲斐のある魅力的な映画ですね。
私も二回目観たら感想が変わるだろうなと思います。
でも映画が終わって、あの独特の閉塞感から解放されたとき心からホッとしたので、私にはもう一度観る勇気はありません。