
しっかりと計算されたラスト。不思議な世界にどっぷりつかって欲しい。
『さよなら、私のロンリー』(2020)の感想、解説をしていきます!
『さよなら、私のロンリー』(2020)の評価
項目 | 評価 |
知名度 |
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配役/キャスト |
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ストーリー |
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物語の抑揚 |
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生まれ変われれる度 |
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おススメ度 |
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『さよなら、私のロンリー』(2020)の作品情報
製作年 | 2020年 |
原題 |
Kajillionaire |
製作国 | アメリカ |
上映時間 | 106分 |
ジャンル | ドラマ、コメディ |
監督 | ミランダ・ジュライ |
脚本 | ミランダ・ジュライ |
主要キャスト | エヴァン・レイチェル・ウッド(オールド・ドリオ・ダイン)
デブラ・ウィンガー(テレサ・ダイン) ジーナ・ロドリゲス(メラニー) リチャード・ジェンキンス(ロバート・ダイン) |
『さよなら、私のロンリー』(2020)の概要
オールド・ドリオは両親(ロバートとテレサ)から詐欺師になるための英才教育を施されてきた。ドリオにとって、両親は絶対的な存在であった。ある日、2人は偶然知り合った女性(メラニー)を引き込み、ドリオとタッグを組ませることにした。ドリオは自分のペースを乱されることを嫌がったが、両親の命令には従うより外なかった。メラニーと一緒に仕事をするうち、ドリオは両親の意向に従わないという道があることに気が付き、「自分はどう生きるべきなのか」という問いに初めて直面することになった。
Wikipediaより引用
『さよなら、私のロンリー』(2020)のキャストについて考察
エヴァン・レイチェル・ウッド / オールド・ドリオ
私が彼女を初めてスクリーンで観たのは『アクロス・ザ・ユニバース』でした。
その名の通りビートルズの曲を元にしたミュージカル風映画です。
出演者の歌声が素晴らしかったのですが、その中でもエヴァン・レイチェル・ウッドの澄んだ歌声が抜群でした。
その後はTVシリーズ『ウエスト・ワールド』シリーズなどに出演し、透明感がありながらも一癖も二癖もある役者として活躍しています。
最近では『アナと雪の女王2』でアナとエルサの母親役で、再び歌声を披露しています。
本作では美しい声を封印しています。
低い声で感情を見せない独特の話し方から、彼女(オールド・ドリオ)は社会性に乏しく、親の愛情に飢えた人間であることが窺えます。
デブラ・ウィンガー / テレサ
『愛と追憶の日々』、『愛と青春の旅立ち』などに出演し、1980年代に活躍した女優。
その後ロザンナ・アークエット監督のドキュメンタリー『デブラ・ウィンガーを探して』で再注目されました。
本作では毒親をひょうひょうと演じています。
とても自分勝手な人間だけど、普通に感情を持った温かい家族の一員を装うことができるシーンがあり、それが逆に恐ろしいと感じました。
『さよなら、私のロンリー』(2020)の感想
邦題について
原題は「Kajilionea」(造語:超金持ちという意味の造語)なので、「さよなら、私のロンリー」という散文的で情緒溢れまくりの邦題に決まった時には愕然としました。
邦題には「カジリオネア(超金持ち)」という言葉の軽さと、永遠にカジリオネアになれない哀しさ(無知さ)がひとかけらも入っていないから。
ラストで流れる曲が「ミスター・ロンリー」なので、分かりやすくしてくれたんだと思います。
でも解答用紙に既に答えが書かれているような違和感があるタイトルだと思います。
数々の伏線(?)と萌えポイント
メラニーの手を掴んだ時にネイルがはがれたシーンとオールド・ドリオのダンスシーンで、光がさしている➡恋に落ちた瞬間
頻発する地震➡オールド・ドリオの心の変化の表れ
レストランで母親が見ている前でオールド・ドリオがメラニーに木でできた物体を渡すシーン➡男が女に木でできたものを渡すのは『ヤりたい』という意味だと母親から教わっていた※初めての反抗であり自我の芽生え
返品金額525ドル➡オールド・ドリオが計画した詐欺で得た合計金額3等分した額※両親との決別
感想
オールド・ドリオが世界へ飛び出す。
これからたくさんの人に出会いたくさんの出来事を経験する。
笑ったり泣いたり、感情を表に出して他者と共有する。
そんな未来を勝手に思い描いて微笑んでしまうような映画でした。
親からの愛情不足が原因で、他者との関わり方が分からないオールド・ドリオ(※この風変わりな名前は宝くじが当たったホームレスの名前から付けられた)。
幼少期からスキンシップがなかった彼女は、マッサージ店でも体に触れられることを受け入れられず、人知れず涙します。
自分や家族、家族との関係性に疑問を抱き始め、少しずつ彼女は変わろうとしはじめます。
その結果、後半ではセミナーで講師に髪を触られることを受け入れることができるのです。
なぜここまでオールド・ドリオは他者を、自分を拒否するようになったのでしょう。
あるシーンを見たときに答えがありました。
オールド・ドリオが母親から「この子には情がない」と言われた時、こういう方法で両親(特に母親)はオールド・ドリオの人格を作ったんだと実感しました。
自分が都合がいいように娘の人格を否定して、このコミュニティ(家族)の下っ端でい続けさせようとする母親の影響がとてつもなく大きいのだと。
やわらかい色彩で、ユーモラスな動きや言葉に包まれた作品ですが、ものすごく恐ろしい物語なんじゃないかと気づきます。
前半はコミカルで、毒親のことも笑えてましたが、両親がメラニーの体を求めるシーン+娘に「ハニー」と絶対に言えないと母親が言い切ったシーンから雰囲気が変わります。
こいつらまじやべー、と。
真っ暗なトイレにいる中で大きな地震が起き、そこから出た瞬間からオールド・ドリオは新しく生まれ変わり、本当の意味での自分の人生が始まります。
家族との関係を断ち切り、これからは自分が選んだ人と家族になる。もしくはならない。
どちらでもいい。
オールド・ドリオは人生を選択することができるようになったのだから。
『さよなら、私のロンリー』(2020)のクイアポイント
この作品はクイア映画です。
彼女たちの間に何かが芽生えたシーンではまぶしい光が差し込んでいます。
オールド・ドリオのダンスをメラニーが観るシーンでも同じように光が差し込む。
メラニーと関わることで、オールド・ドリオの抑え込んでいた感情は少しずつ、泡のように溢れていきます。
工場のピンクの泡はオールド・ドリオの想い。
だからすくって捨てたりせずに溢れるままにしておけばいいって事かなと思いました。
『さよなら、私のロンリー』(2020)まとめ
この映画が好きです。
共感できる人はそんなに多くないかもしれないけれど。
私はすごく共感しました。
自分が属する最小のコミュニティである「家族」
コミュニティのルールや力関係で自分をがんじがらめにされてしまう。
それでも仲間と認めてもらいたい為に頑張る。
でもか家族なんだから、頑張らなければ認めてもらえないなんておかしい。
メラニーから「スイートハート。大切なベイビー」と母親に言われたかった言葉を投げかけられるも受け止めきれずに慌てふためくオールド・ドリオが愛おしい。
本物ではないけれど、どうやっても得られなかった「愛」がそこにあって、私はホロリとさせられました。