
ふたりの関係を証明するのはお互いの視線だけ。
『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』(2019)の感想、解説をしていきます!
『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』(2019)の評価
項目 | 評価 |
知名度 |
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配役/キャスト |
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ストーリー |
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物語の抑揚 |
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不寛容な世の中を体験できる度 |
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おススメ度 |
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『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』(2019)の作品情報
製作年 | 2019年 |
原題 |
Deux |
製作国 | フランス、ルクセンブルグ、ベルギー合作 |
上映時間 | 95分 |
ジャンル | ドラマ |
監督 | フィリッポ・メネゲッティ |
脚本 | マリソン・ボボラスミ 、フィリッポ・メネゲッティ、フロランス・ビニョン |
主要キャスト | バルバラ・スコラ(ニコ)
マルティーヌ・シュバリエ(マルガリータ) レア・ドリュッケール(アンヌ) |
『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』(2019)の概要
南仏モンペリエを見渡すアパルトマン最上階、向かい合う互いの部屋を行き来して暮らす隣人同士のニナとマドレーヌは、実は長年密かに愛し合ってきた恋人同士。マドレーヌは不幸な結婚の末に夫が先立ち、子供たちもいまは独立、家族との思い出の品や美しいインテリアに囲まれながら心地よく静かな引退生活を送っている。2 人の望みはアパルトマンを売ったお金で共にローマに移住すること。だが子供たちに真実を伝えられないまま、時間だけが過ぎていく。そして突如マドレーヌに訪れた悲劇により、2 人はやがて家族や周囲を巻き込んで、究極の選択を迫られることになる…。
「シネマカフェ」より引用
『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』(2019)の感想
私は同性の恋愛映画をたくさん観てきました。
かつては映画に出てくる同性カップルは最後にはどちらかが(どちらも)死んでしまうものが多かったです。
鑑賞後、映画の世界でも同性愛者は報われないのか、認められないのかと、落ち込むことばかりでした。
しかしここ数年驚くべきスピードで男女の恋愛と同等に扱われる作品が増え、私としては映画ライフがますます楽しいものになっていました。
そしてそんな中『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』を観て、現実を突きつけられて取り乱している次第です。
私たちが生きている世界は恐ろしい所だ。と、ガクブルしているのです。
以前の映画のように人が死んだりしないけれど、それよりもっと現実的で恐ろしく悲しい物語でした。
映画の感想というより、本作で取り上げている問題が真っすぐ突き刺さってきて、彼女たちの目の前に立ちはだかる巨大な壁をどうやったら壊せるのか、その日はいつ来るのかということが頭から離れませんでした。
パリでは同性婚は可能だけれど、彼女たちは結婚していません。
時代が許さなかったのです。
夫が他界して再婚することもできたはずだけれど、おそらくマドレーヌは子どもたちの事を考えて結婚しなかった。
二人でいられればそれで幸せだった。
マドレーヌが倒れて話せなくなるまでは。
二人ともこんな未来になると知っていたら間違いなく結婚していたでしょう。
結婚していない二人は、社会から見たらただの他人なのです。
結婚することで二人の関係は社会的に認められ、法的に守られる対象になる。
結婚していれば、パートナーが介護状態になった時に携わることが出来る。
していなければ、何もないのです。
ニコが石を投げたり車を傷つけたりするのは悪い事。
でもそうしなければ愛する人に会えない社会の仕組みっていったいどうなのよ。
冒頭から不穏な空気で始まる二人の少女のかくれんぼは、本当の自分を押し殺してきたこと、彼女たちの関係は誰の耳にも届かないことを意味していたのだと思います。
本作の感想として「長年の親友や姉妹という設定でも通用しそう」というコメントを見ましたが、その言葉を見た途端、思わず頽れました…。
軽やかにキツイ。
軽やかな言葉に確固たる隔たりを感じてとても悲しい。
男女の恋愛だったら起きなかった物語。
同性愛者であるがゆえに、普通の暮らしがサスペンスになってしまう。
閉ざされた空間だけが彼女たちの存在する場であってはいけない。
彼女たち(私たち)の未来は明るいものにしなければ。
『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』(2019)まとめ
自分の将来を見ているようで、冷静に鑑賞することが出来ませんでした。
そしてそこに本作の存在意義があるんだと思う。
性別が違うだけでこんなに苦しむことになるんだと気づかせてくれたこの作品は、異性愛者が観てもその理不尽さが伝わるものになっています。
ニコの行動を見て、彼女をサイコパスだと思う人がいないことを願います。
どれだけ彼女が追い詰められたか理解してほしい。